ハサミ

ハサミ

洗濯バサミの「ハサミ」と、切るハサミの「ハサミ」は、漢字違いますよね。

それをアラタメテ考えてしまいました。

「そうよ!洗濯バサミのハサミと、ハサミのハサミは違うのよ!」

チョット考えれば、わかりきったことなのですが、普段そんな事って考えませんものね。

洗濯バサミのハサミは、そうか、挟むんだ。

ハサミのハサミは、鋏。

いや、ちょっと待って!鋏の意味を調べてみましょうよ!

「モノを、二つの刃で挟んで切る道具」と書いてあります。

結局挟んでるじゃん!

「挟んでいる金属で作られた物」だから金偏かぁ?

不安になって「洗濯バサミ」をしつこく変換すると、結局「洗濯鋏」で出てきました。

えええ?これも金偏のハサミ????いえ、ネットで調べてみましょうよ。

「洗濯挟という名で、出ています。」小林旭かよ!

もう、訳がわかりません。

英語でハサミはscissors、刃が2枚なので複数形で一丁。

でも、洗濯ハサミはpinch、単数形でちゃんと一個を表しています。

これだって、二つの何かで挟んでるから複数形で一個を表しても、バチ当たんないでしょうに!

そういえば、英語では靴もパンツも複数形でしたよね。

一個しかなければですよ、どの道ご用事は成さないのに複数だと言いはる、でも洗濯バサミは単数形。

その語源に何か理由があり、それを授業中に聞いたように思うのですが、ぜんっぜん思い出しません。

先生も一生懸命授業をしてくれていたでしょうに、教え甲斐がない子でごめんさいね、ごめんさい!

それを思い出せれば、なんで鋏が複数形で洗濯バサミがそうでないのか、その解明のヒントになったでしょうけどね、あ?、残念残念。。。

ということは、やっぱ洗濯バサミとハサミは「違うハサミ」なのかなぁ。

何気なく使っている言葉でも、よくよく考えると奥深そうなモノがあります。

暇ならば、暇に任せて調べたり考えたりすると、いい暇つぶしにはなりましょう。

ただ、とてもイケナイことは、ワタシが飽きやすいということです。

いいところまでは調べるのですが、満足いく結果が出る前に、調べるのに飽きてしまうのです。

ヘトヘトになってしまい、もう寝よう!とか、DVD見ようかなとか、散漫になるのです。

集中力が、持続しない。

ええ、いつでも中途半端ということになります。

雑学王とワタシとの違いは、そこでしょうね。

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YouTubeで

XPという病気のことを、初めて知りました。

YouTubeを見ていて、「消去できないメールが来た(2chコピペ)」という題名の動画があったのです。

何の気なしにそれをクリックしました。

とある男の子がそのXP(xeroderma pigmentosum),色素性乾皮症というのだそうですが、その病気と戦っている子で、ふとネット上で知り合った女の子と、メールのやり取りが始まったと。

逢ったことはないけれど、メールから垣間見るその女の子は活発で、学校のこと友達のこと部活のこと、毎日メールで話をしてきていたの。

男の子自身は病気のことも、外を出歩くことも出来ず、引き篭っている生活を明かしていましたから、始めは「自慢か?」と疎ましく思う時もあったらしいのですが、徐々に心を開くようになり、そのメールを楽しみにするようになったそうです。

自分自身も、読んだ本の話や、不自由な中にもちゃんと存在する生活の話を、彼女にするのです。

彼女からメールが途絶えるようになり、「僕のことが嫌になったのだろうか」と心配し、哀しみもしましたが、仕方ないことと諦め始めていたある日、「会いたい」と彼女からメールが入ります。

男の子は自分の容姿に自信がなく、どうしていいのかわからず、3週間が経ちました。

突然、彼女の母という人からメール。

彼女は彼と同じ病気で、「会いたい」想いは叶わぬまま、亡くなってしまったとのこと。

彼女が話していた彼女の日々の生活は、「願い」だったのだそうです。

その事を綴ったものでした。

会いに行くか行かないか、「会いに行けよ、一生後悔するぞ」とコメントが寄せられる。

「体に負担が来るようならば、無理はいけない」そういうコメントも混じります。

親の車であれば、対策が施されているから大丈夫なのだということでしたが。

その子も40才までには、皮膚癌になってしまうであろうという立場なのです。

親に話してみようということになります。

母親はカラダへの負担を考え「やめてほしい」と言う。

それを父親が「お母さんはオレが説得する。明日にでも行こう。会社は丁度休みだ。」と言ってくれたようです。

ざざっと話すと、その機微が伝わらず、申し訳ない感じなのですが、お父様お母様、双方のお考えがとても理解できる気がしたのです。

長く生きて欲しいと願う母、短いのであれば「生きた」と実感した「生」を握りしめて欲しいと願う父。

この病気のことを、私はよく知りませんでしたが、この病気に限らず「普通の生活」が望めない状況下の人というのは、たくさんいらっしゃると思うのです。

受け入れてはいるけれど、受け入れがたいこの現実を抱えておいでのご両親も沢山いらっしゃることでしょう。

ネットが、外界との唯一の接点であろう場合も多いと思うのです。

「ネット社会」を批判する声もある。

けれどこうして心が救われている人もいる。

おもわずしらず深く考え込んでしまった記事でした。

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